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「人生の終わり方を考えよう」

友人にタイトルの本を紹介して

「買って読んで 一歩二歩前進」という返信があったので、それにまた返信メッセージの下書きです。



⚪︎⚪︎ちゃんメッセージありがとう。


4ページに、

「何の準備や努力もしないで、最後まで自分らしく過ごせると本気で考えているのでしょうか?」

って、書いてあるんだけど・・結構強烈なメッセージだと思いました。


グサっと来ます。


でもね、


あの本と真逆に生きている人も知っています。義父母です。

不養生、不摂生、オンパレードの夫婦です。


運動大嫌い

栄養バランス完全無視


義父は20年前から総入れ歯

タバコ今でも吸ってます・・

今年90義母は88

無趣味

果物は 缶詰orシロップ漬け

野菜は 漬物

魚は いい刺身

肉は いい肉の塊

おやつは 珍味

おむつが楽だと言って、おむつ替えしてもらっています・・

ひどい認知はなく

車椅子が楽、おむつが楽

何もしなくて幸せ・・


あの本とは正反対なのに長生きしております・・

幸せそうです。


これからはどうなるかわかりませんが・・あの本の言っていることも一理あるのですが、

義父母を見ていると不安がないというのが 一番長生きの秘訣なのかなと感じています。


人生の最後の終わり方を考える上で、不安がベースにあっての今後の展望は逆効果なのではと思っています。どうありたいかはとっても大事だけれどもしそうならない人生もあるかもしれないという余裕というか 余白を持っていることも頭の片隅にあるといいかもしれない。


不安が寿命を延ばすのか

不安が寿命を削るのか


健康法、終活、準備、努力・・それらは未来を整えるための道具。

でも「不安」を燃料にして走ると、そのエンジンは意外と消耗が激しい。

一方で義父母は整備ゼロでも、エンジンはなぜか回っている。

これは何なのか・・

もしかすると

体質・時代背景・ストレスの少なさ・欲の薄さ・図太さ・あきらめの潔さ

いろんな要素が混ざり合った結果。


義父母を見ると

不安がベースにあっての今後の展望は逆効果なのではと考えさせられます




終わり方は設計図通りにならないこともある。でも、それもまた人生の味。

きっちり整える人も尊い。成り行きに身をゆだねる人もまた一つの在り方。

どちらが正しいかではなくどちらが「自分の気質に合うか」なのかもしれません。


私は和道ヨガで「整える」と同時に「自然にまかせる」ことも大事にしています

身体も同じ。

鍛えることもできる。でも、回復力や寿命には人智を超えた流れもある。



「努力しなければ自分らしく終われない」という思想は少し現代的だとも思います。

昔の人はもっと無造作に、もっと自然に、生きて、老いて、亡くなっていたはず。


「整える派」と「なるようになる派」のあいだで揺れています・・


あの本が書いてあるように「主体的に学ぼうとする」姿勢を大事にしてみたいと思います。


また思いついたらメッセージ送らせてね❤️




 
 
 

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