8月に1歳になったばかりの孫が、お散歩大好きで歩きたがる。
それも手を繋ぐより、自分で歩きたい・・。
その子が、階段を登り始めた。
静止しても止まらない。
止まらないなら止まるまで待とう・・・
と、見守ることに。
危ないからとか、服が汚れる、膝や手がいたくなるとか、手が汚くなるとか
そんなことは当の本人は全く関係ない。
私の子育ては怒りっぱなしの子育てだったけれど、でも大人の都合で子供の成長を阻んでないだろうか・・と常々考えていた。
私の望んでいた子育てはこんな感じだった。
疲れたら止まればいい。
歩けなくなったら抱っこ・おんぶしてあげるよ。
今持っているものを最大限に生かして生きていくこと。
それができる人になって欲しい。
どんな状況になっても。
それを見守るのが大人の役割。
目をそらさず、見守ることができるのが大人。親だと。
必要な時にサポート。
子供たちから教わってきた。子供たちから教わって親になり大人になっていく。
子供が生まれたから親になるんじゃないし、年を重ねれば大人になるわけじゃないんだよね。
教育って、共育だとつくづく感じていた。
逞しい孫をみて、孫を見守る娘をみて
ちょっとだけ安堵。
自分の子育てが間違ってなかったどうかは、
子供達が我が子や、色々な人間関係を育てることができるかどうかだと思っていたから
長い子育てにやっと安堵を感じたかな。
大学
就職
結婚
子供がいるかどうか
それを親として子育てで目指したことはない。
本人たちが望んだことで本人たちが掴んだだけのこと。
本人たちが選んことを 祝福するだけのこと。
とりあえず4人中3人が結婚、子育て中。
4番目は就職中。一度挫けた夢を今掴みかけているようです。
母としては安心でもあり、心配でもあり、でもどうにもならないから
祈るだけ
逞しくあれと関わってきた
何をもって逞しいかを悩みながら
逞しく育ってくれた
ありがとう


孫よ
その調子で逞しく!!!