自分の体験を身体で再生出来ることを話をしたことがあると思います。
身体が硬いのは自分で硬くしていて、柔らかいモノを想像したり、何かが溶けていくイメージを硬い部位に乗せると変わります。
でも体験が身体の感動につながっていなければ再生力は乏しいのです。
身体の感動ってなんでしょう。
それは多点集注、全身全霊、身体の細胞隅々まで、一つ残らずココロと繋がっている状態だと私は捉えています。
感動は喜びだけではありません。
感情的には辛いとか苦しいがあるかもしれませんが、全身で向き合っている状態を意味します。
体験しました
経験あります〜
だけでは頭の満足だけかもしれません
身体を動かしているようで頭、脳ミソだけかもしれません〜
知識とか経験豊富を求めず、上っ面のような薄っぺらい感じにならないために、学ぶときは頭を使わないように心がけています。考えない、感じる!
身体の感覚が拡がるのがわかります。
深く広く〜
考えていないと、感じた身体の経験は勝手に記憶されていますね〜
自然体って、ゆるゆる〜ふにゃふにゃ〜という表現であっても、美しさがあります。
余分な力みない状態はだらし無い状態でありません。
勘違いしやすい所ですね〜
これは氣空術のお稽古にもつながっています!個人的な考えです。
書道は全身集注力と観察力と再現力を養ういいお稽古だと思いはじめました。
筆先まで身体の一部に!
身体を筆に!
全身で字を書く!!
難しい_| ̄|○
でも楽しい!(*≧∀≦*)
